パチンコで苦しむあなたへ
2014年版レジャー白書によると、現在のパチンコ参加人口は970万人となっており、ピーク時に比べ3分の1ほどまで減少しています。
日本の人口の約10%がパチンコ遊戯を行っていると考えれば、まだまだその絶対数は多く、たくさんの人が不幸のループから抜け切れていないのも事実です。
また、パチンコ参加率は人口の9.6%ですが、参加希望率は5.7%というデータが出ています。
つまり、パチンコ店にいる半分近い人々が「心の底ではパチンコを辞めたいと考えているにもかかわらず、依存症に苦しみながら同じ過ちを繰り返し続けている」のです。
「パチンコをやめたい」
そう思っているのはあなた一人ではありません。
当然私もその一人です。
最終的に行動に移すのはあなたですから、私が救いの手を差し伸べることはできないかもしれません。
それでもパチンコ依存の苦しみを分かち合い、脱パチンコへのきっかけの1つにでもなりたいと思い、このサイトを立ち上げました。
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パチンコとの出会い
初めてパチンコに触れたのは今から10年前、19歳の時です。
大学の友人に連れられて入店した大手パチンコチェーン店で、1時間ほど北斗の拳を打ち、右も左もわからないまま2万円ほどの勝ち分を得たのを覚えています。
ビギナーズラックからなのか、しばらくは負け知らず。時給900円程度のアルバイトも馬鹿らしくなってしまい、採用されてから2ヶ月も経たないうちに退職してしまいました。
パチンコ中心の生活
気付けば生活の中心は学校や友人からパチンコ・パチスロに変わり、講義をサボって1日中パチンコ店に入り浸るような生活が7年間続いていました。
留年を繰り返しながらなんとか大学を卒業することは出来ましたが、周りの友人たちが真っ当な社会人になっていくなか、私は就職先が最後まで決まりませんでした。
大学卒業まであっという間に時は流れ、晴れて無職のパチンコ中毒患者になったのです。
家族や友人からの信頼は地に落ち、それでも現実逃避のために毎日パチンコ屋に通う生活が続きました。
パチンコ店の経営が成り立っていることを考えれば当たり前の話ではあるのですが、依存症の私が勝ち続けられるはずもなく、カードローンの限度額いっぱいまで借金を作り、親や親戚に泣きついたことも一度や二度ではありませんでした。
全てを失う
大学進学をきっかけに東京に出てきていた私ですが、卒業後も実家に戻らずふらふらパチンコを打つ日々。当然、実家からの仕送りは卒業と同時に打ち切られてしまいましたが、「家賃が払えない、3日間飲まず食わずだ、就職活動のための交通費が必要だ」などと体の良い嘘をつきながら実家の資金援助を受けて生活していました。
最低限住む家はある、いざとなったら親を頼れるという、ふらふらするにはうってつけの家庭環境でした。
そんな生活が3年目に差し掛かった頃、私は全てを失うことになるのです。
実家で唯一の働き手であった父が病に倒れ、私にとって唯一のまともな収入源であった実家からの資金援助が途絶えてしまったのです。
母からは「早く実家に戻って定職に付きなさい」と口うるさく言われていましたが、親の意思ではなく自分の意思決定で人生の成功を掴みたいと頑固になっていた私は、家族からの忠告を無視し東京に居座り続けることを決断したのです。
本来であれば生死を左右するような重要な決断であるにも関わらず、自分が「ギャンブル依存症という精神病を患っている」ことに気が付いていなかった私は、「仕送りが亡くなるなら気持ちを入れ替えて明日からまじめに働けば良いや」というポジティブな気持ちでいたくらいです。
実家から連絡があったその日に飲食店のアルバイトに応募をし、1週間後には無事働き始めることができたのです。
当然、アルバイトを始めただけであってパチンコを断固たる決意でやめたわけではありませんでした。
そう、パチンコ依存症との戦いはここからはじまるのです。
自身の精神病に気付く
明日住む家がなくなったらどうしますか?働かなければいけないのに病気で職場に通えなくなったらどうしますか?
そんな不安に対して、貯金をしたり、健康保険・医療保険に入ったり、様々な備えを講じておくのが普通の生き方です。
しかし、パチンコ依存症は「貯金」を作ることができない性質の病気で、そのうえ対応した医療保険など存在していない、救いようのない病なのです。
一方、パチンコ依存症がそれほどまでに重い病だとはつゆ知らず、アルバイトを始めていた私は、7年ぶりに働く喜びと、お金を稼ぐことの大変さを目の当たりにしていました。
もちろん、「親の援助もない、備えもない、生活もギリギリなんだからパチンコに行く余裕なんて無い」ということは頭のなかでは重々理解しているつもりでした。
最初の給料日までは、慣れないフリーター生活にもあたふたしながら、パチンコとは無縁の生活を送ることもできていました。
しかし、初めての給料日になると私のそんな甘い考えをあざ笑うかのように、病魔の手は私を地獄のどん底へと誘い込みます。
あろうことか、最低限の支払いを終えたその足でパチンコ店に向かい、残りの収入を全てパチンコにつぎ込んでしまったのです。
どのような心境で店に入り、メダルサンドに現金を入れていたのか、今では一歳の記憶がありません。
覚えているのは、店を出た時の強烈な自己嫌悪だけ。
この時、ようやく自分がパチンコ依存症であることに気が付きます。
依存症との戦い
とにかく日々の生活すらままならない状況ですから、「パチンコに行ってはいけない」と、頭のなかでは十分に理解しているのです。
しかし、現実では大切な生活費までパチンコにつぎ込んでしまう自分がいました。
自分の気持とは裏腹にパチンコ屋に通い続けてしまうことへのもどかしさ、ストレス、そして何より増え続ける借金からなんとか抜けだそうと、ようやく「本気でパチンコをやめる決心」を付けたのです。
依存症から抜け出すまで
最終的には、様々な書籍や脱パチンコマニュアルを元に、なんとか依存症を脱することができたのですが、1年間死ぬほどの苦しみを味わいました。
もっと早くあの教材に出会っていれば、あの本を読んでおけば、あの方法を試しておけばと後悔することもありますが、今では苦しんだ日々も立派な財産になっているのではないかと思います。
下記ページに私がパチンコを辞めるまでに試した数々の方法をまとめています。
私が試した脱パチンコマニュアル一覧
私が試した書籍一覧
私が試した方法論・ノウハウ
当時の私は1人きりで戦ってしまいましたが、このサイトを訪れてくださったあなたには、依存症と戦っている仲間がたくさんいることを頭の片隅に置いておいてほしいと思っています。
前述の通り、少しでもパチンコ依存で苦しむ人の参考になればと思い、このサイトを起ち上げました。大半が手軽に実践できるものばかりです。
是非参考にしてみてください。
また、生活費もままならない中、生活を立て直すまでに利用したカードローンや、債務整理の際にお世話になった先生もご紹介しておきます(少しでも参考になれば幸いです)。
借金まみれで首は一切回らず、おまけに学も無ければ職歴も無い、本物のクズ人間でも、なんとか人並みの生活が送れるまでに回復することができたのです。
「誰でも確実にパチンコをやめる方法」は無いかもしれませんが、「あなたに合った脱パチンコの方法」は必ず存在しています。
諦めずにまずは一歩一歩行動に移してみてください。
最後に
偉そうにこんなサイトを作っていますが、「ここ2年間はパチンコをしていない」というだけであって、「今後一生パチンコには行かない」と断言はできません。
ただ、「今日はパチンコをやっていない」という日を1日1日積み重ねていくことが一番大切なことだと考えていますし、ここ2年間は毎日「パチンコに行かない」ことをなんとか実行できているのも事実です。
パチンコに行かない素晴らしい毎日をいつまで送ることができるかは、神のみぞ知るところではありますが、このサイトに訪れた全ての人と一緒に戦っていきたいと思っています。
by 管理人